『たちどまって考える』(中公新社ラクレ)の読書感想文
ヤマザキマリ(著)
2020年9月出版/924円(税込み)/新書判/1色刷り/表紙カバーあり/
本文14Q/256頁/右開き/文字は縦組み/1ページ41文字×15行
柱:左ページの左上に、章タイトルのみ
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この著者は、漫画『テルマエ・ロマエ』の原作者です。
イタリアへ留学され、イタリア人と結婚され、その経験を活かし、日本とイタリアを比較するエッセイや漫画もかいておられます。
海外旅行でイタリアへ行き、その文化や人柄など気に入っている私は、著者の本を好んで読んでいます。
本書は、コロナ禍の日本とイタリアの比較になります。
著者の目線を通して、いろいろなことが分析されています。
<目次>
1.興味深かった日本とイタリアの違い
買い占め現象
日本 → トイレットペーパーやティッシュ、キッチンペーパーなどの紙製品
イタリア → パスタと牛乳。炭水化物とたんぱく源。それから小麦粉類
著者の夫いわく
洗浄便座がある国で、なぜトイレットペーパーを買い占めるんだ
とのこと。確かにそうですね。
ソーシャルディスタンス
日本 → 2メートル
イタリア → 1メートル
著者いわく、イタリア人は
その距離が彼らにとっての限界ギリギリの線なのだろうと思います。イタリア人たちは、相手の顔を見ながらそば近くでしゃべりたいのです。そうでなければ彼らのコミュニケーションは成立しません。それを精一杯我慢しての“1メートル”なわけです。
少しびっくりしたので調べてみると、科学的に最低1メートルで良いといった記事もありました。
感染予防
日本 → マスクをして予防
イタリア → ワクチンが一番
著者いわく、イタリアでは
体の内側から病気をブロックさえすれば、マスクのような表層的な対処は必要ない。
体の内側に抗体をつくることのほうがマスクよりも意味があるらしい。
たくましいですね。
でも、その考えは、1918~1920年のスペイン風邪の経験からきているようで、イタリアでのマスク着用は、“大げさな疫病”を想起させるものだそうです。
自殺の観念
イタリア → 罪悪感あり
日本 → イタリアほど罪悪感がない!?
著者いわく、イタリアは
キリスト教という約2000年前に発生した経典『聖書』に書かれていることが、彼らの倫理観の礎となっているのです。人の命は神から授かった尊いものであり、自死は決してあってはいけない罪深きことと教えられます。
一方、日本は
自死は日本人にとっても避けるべき選択ですが、キリスト教の倫理や道徳観が沁み込んでいるイタリア人ほどの罪悪感はもっていません。家族や会社のために自分が死んだほうが状況は改善するはずだ、と冷静に考えた上でその選択をする人もいる。
切腹もあった日本と、キリスト教圏の方とは、自死の考え方は大きく異なりそうです。
そして、著者の夫いわく
とにかく、命さえあれば復興はできる。歴史もそれを証明している。
確かに…。
本書を読んで、コロナ禍の日本とイタリアの違いを感じ取ってみてはどうでしょう?
2.みんな同じ、不安と向き合う日々
日本やイタリアで、いや世界中どこでも、今は新型コロナで、不安な毎日を送っていることと思います。
その解決のヒントとして、著者の言葉をご紹介します。
不安の前提として
不安傾向が強まれば、鬱病に悩む人や理性や寛容性をなくしてイライラする人が増えます。他人への苛立ちや怒り、殺意といった暴力的な感情も表出しやすくなる。
とのこと、その不安の乗り越え方として、
(1)自分で考える力を身につけること
様々な感情による経験値や想像力によって構成された自らの“辞書”の情報量が少ないということは、先の見通しが立たないパンデミックのような問題が起きたときに、ぼんやりとした不安を自力で処理したり、巷に飛び交う情報を適切に疑ったり、ということができなくなるでしょう。(中略)内側に知力という抗体をつくることで、突発的な物事にも対応できるだけの思考力を鍛えることができるわけです。
そして、(2)想像力を駆使すること
目の前は壁でも後ろを見れば、どこへでも行ける広い空間が広がっている場合もある。そしてそれを教えてくれるのはほかでもない、自らの想像力そのものなのです。
を伝えています。
コロナ禍でできた、自分の時間。
私も一度、たちどまって考えてみようと思います。